それからは、毎週先生のオフィスに行っては、色々教えていただきました。
アレキサンダー教授に出会う前に、自分でいろいろと研究しては失敗していたのも手伝って、突っ込んだ質問がきてもある程度の質問には何らかの自分の意見を持っていたので答えることもできました。私の考えが違っているとき、先生は丁寧にどうしてそれが違うのか説明してくださいました。
教授と出会った学期末、論文を書いてごらんというアドバイスをいただきました。
まだその時は論文を書き上げる自信がなかったため、教授には時間をくれるようにお話したと思います。自分でこれだ! と思える理論にぶつかったときに書きたいという気持ちがあったんですね。
教授は怒るわけでもなく、「僕にできることは何でも相談しなさいよ。」と一言。一般の学生にこんなチャンスをくれるなんて、本当にありがたいなという気持ちでいっぱいでした。
論文を書くのを引き伸ばした理由は、アレキサンダー教授の理論は根本的な原因の追求には完璧だけれども、その解決に向けての具体策において、日本で使えるものがなかったからです。
私としては、依存症の研究をやっている一番の理由は
なので、これらの答えが見つからないと意味がないわけです。
あるとき、どうしても希望のクラスに入ることができなくて、その代わりに幼児教育のクラスを取りました。
カレッジ時代に幼児教育のクラスは経験済みだったのですが、内容的にはおもしろそうだからという軽い感じでした。今思えば、これも運命的なものだったのかも知れません。レジオ・エミリアという世界でも有名な教育法に出会うことができたのですから。
レジオの考え方は、歴史的な流れもとてもよく似ています。レジオ・エミリアの教育法なら日本でも通用すると考え、アレキサンダー教授に来学期は論文を書くということを伝えました。教授も喜んでくれて、いよいよだねっていう感じでした。
が、そこでもまた問題勃発です。(笑)一般の学生が教授と一対一で論文を書くには、ある意味すごく成績が優秀でなければならないという決まりがあったのですが、そのときの私の成績は中の上ぐらい。結局、論文クラスの申請で落とされてしまいました。
そこで頑張っていただいたのが、アレキサンダー教授です。教授は申請を却下した人たちに掛け合って、「この学生なら大丈夫だから。」と伝えてくれたそうです。今でも恩があります。というか、教授は笑っていました。
そのときに教授が私に言った言葉は、今でも忘れません。
美和、自分にとって恩師に当たる人は、もしかして、道でぱったりで会うような普通の人だったりするんだよ。学歴や内申で判断するなんて、本当に今の社会はおかしい。世の中には色々な人がいるんだよ。大学教授だけが教授じゃない。この論文は僕を喜ばすために書くんじゃないんだよ。美和が考えていること、、とにかく量より質。自分がはっきりと言い切れるものを、思い切って書きなさい。
学費のために仕事をしながら、そんな大事な論文を書くのは相当のプレッシャーです。とにかく書き始めてみると、最初は本当にしっくりきません。言いたいことを1つに絞り、改めて取り掛かることにしました。
そのとき書いた論文は、主に以下のような点を指摘した内容です。
そして、こういった日本の状況が、人間の調和や資質より過剰な物資中心社会を生み出していると。
私としてはかなりヒットで、とても満足のいくものになりました。最終的に、3日遅れでドキドキしながら提出したのを覚えています。(笑)
その結果、教授がくれた評価は、なんと「A」! 先生としても、久しぶりにこんな論文を読んだよ、なんて褒めていただきました。論文を書き終えた安堵感と、論文として頭の中の考えを出し切ったことでモヤモヤが解消できたことで、私自身も論文を書いて本当に良かったと思っています。
論文ネタはこれだけでは終わりません。(笑)
その後教授から、「これで終わりにするつもりじゃないでしょう。今度は質と量、両方を頑張ってね。」と。最初の論文が23ページで、2回目は50ページと参考資料20ページ。
この論文を書いているときに、具体的に考えた対策法の1つが、今回のサンシャインプロジェクトです。教授が言ってくださったのは、「僕は理論の追求が仕事だ。美和はそれを実社会に当てはめる役目なのかもしれないね」と。
アレキサンダー教授は、サンシャインプロジェクトにもスーパーバイザーとして参加いただいています。「これからもずっと、相談や報告何でもしてくれていいよ」、と快く引き受けていただきました。
歴史的にみて、今の日本の社会は器そのものに多くの問題を抱えています。そこに生きる人々が、その大きな問題に影響されてしまうのも無理はありません。日本の器が、これからもっと人間にとって生きていく事が楽しい、調和と愛のある社会に戻る事ができるといいですね。